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言葉の樹

​​言葉というのは言の葉(ことのは)、葉っぱです。

葉っぱの元には枝がついていて、その元には幹が

あって、さらにその元には根っこがあります。ふだん

言葉として僕たちの目に見えているのは、その葉っ

ぱだけです。幹や根は言葉になっていない沈黙です。

だから沈黙は言葉が無いのではなくて、沈黙には、

幹として言葉になる前のその人の意識が、土の中の

根っことしてその人の存在そのものが含まれています。その土は、他の根っこ、つまり他の人の存在そのものにまで続いています。

この言葉の樹全部を少し難しい言い方で「言語」と言います。つまり、言語は意識と存在を含んだその人全部の営みです。

 

陽射しの暖かい冬に森を散歩すること、山を超えてくる雲をじっと眺めること、美味しいご飯を作って食べること、気持ちのいい昼寝。そういうことも全部含むようにして言語という営みを人はしています。頭だけでなく体全部、内臓も含んでしています。何かがストンとわかった気がした時、人は「腑(ふ)に落ちる」と言います。腑というのは、はらわた、内臓のことです。

 

国語の教科だけに限らず、勉強すること、学ぶこと、考えることはみんなこの言語の営みとしてやっていることです。その人の全部でやることです。言葉を通じて人の全部をじっくり見ていく。そうすることで、勉強するということ、学ぶということ、考えるということ、そういったことがそれまでとまるっきり違ってくるはずです。これが僕たち「ことば塾」のやりたいことです。

 

ことば塾

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